バンドは『フリップ・ユア・ウィグ』レコーディング中からメジャー・レーベルであるワーナー・ブラザース・レコードから契約のオファーを受け、契約を結んだ。 1986年 3月に5枚目にしてメジャー・デビュー・アルバム『Candy Apple Grey』をリリース。バンドにとって初となる ビルボード にチャートインを果たし、 MTV や ラジオ でも取り上げられるが、最終的に最高140位にとどまった。 1987年 1月に6枚目のアルバム『Warehouse: Songs and Stories』をリリース。『ゼン・アーケード』に続く2枚組の大作だったが、ツアー直前にバンドマネージャーのデヴィッド・サヴォイが自殺。モールドがマネジメントを管理するようになると、この頃からモールドとハートの間の確執が表面化する。ハートは メサドン 服用による ヘロイン 中毒に悩まされており、解散前のツアーにも参加しまだ演奏できると主張していたが、モールドはその後のツアーを全てキャンセルし、その4日後にハートはバンドを脱退し 、バンドも解散した。
1984年 にセカンド・アルバム『ゼン・アーケード』を発表。 コンセプト・アルバム であり、 LP 2枚組で70分の大作だったが、レコーディングにかけた時間はわずか45時間であり、制作費用もたった3,200ドルだった 。アルバムは発売当初から賞賛され、パンク・ファン以外からも注目を浴びる結果となった 。SSTは作品の内容からか当初3,500枚~5,000枚程度しかレコードをプレスしなかったが、発売から数週間でレコードは売り切れ数ヶ月間在庫切れとなり、それがセールスに影響しバンドはSSTに不満を抱くようになる。 1985年 1月にサード・アルバム『ニュー・デイ・ライジング』、8ヵ月後の9月に4枚目のアルバム『フリップ・ユア・ウィグ』をリリース。
1980年 までバンドは ミネアポリス で定期的にギグを行い、 アメリカ中西部 のオリジナル・ ハードコア・パンク ・バンドとして認知されていった。バンドを気に入った ブラック・フラッグ の グレッグ・ギン は自身のレーベル SSTレコード にバンドを契約させる。 1982年 に ライブ・アルバム 『ランド・スピード・レコード』、 1983年 にファースト・アルバム『Everything Falls Apart』、 EP 『メタル・サーカス』をリリース。この頃までバンドはパンキッシュなサウンドを展開していたが、メンバーはハードコア・パンクの制約的な音楽性からより飛躍しようと画策する。
1979年 に ボブ・モールド 、 グレッグ・ノートン 、 グラント・ハート 、チャーリー・パイン( キーボーディスト )の4人で結成したBuddy and the Returnablesというバンドが前身 。モールドとハートは共に ラモーンズ のファンであり、2人はノートンとパインを誘い一緒に演奏するようになるが、パインの キーボード 音が乗ったサウンドに他のメンバーは嫌悪感を示すようになり、パイン抜きで演奏の練習をするようになる。この頃からバンド名を「ハスカー・ドゥ」に変更した。バンド名のハスカー・ドゥ(Hüsker Dü)とは 1970年代 に発売された ボードゲーム の名称(Hūsker Dū?)であり、 デンマーク語 / ノルウェー語 で「覚えてる?」という意味である。