同年、ワーナー・ブラザーズに移籍して『 キラー 』を発表。翌 1972年 に発表したアルバム『 スクールズ・アウト 』がティーンエイジャーを中心に支持され大ヒットし、クーパーは一躍人気ロッカーとなった。同アルバムのオリジナル・アナログ盤は紙製の パンティー に包まれていたことも話題となった。
はじめは カバー 曲中心のパーティバンドのような活動をしていたが、 ボストン の「フェンウェイ・シアター」支配人からの紹介により地元有力プロモーターに出会い、マネジメント契約を結ぶ。その後、マネジメント会社の交渉により1972年夏に コロムビア・レコード との契約が成立した。こうしてエアロスミスはデビューする足掛かりを掴んだ。
1972年 12月、フランス人のジェイ・ジェイ・フレンチ(ギター)らによって、 ニューヨーク で結成 。 1973年 2月に4人のメンバーが加入、 1975年 にヴォーカルとギターの支援として、ジェイの高校からの友人であったエディ・オヘダ(ギター)が参加した。
しかし、翌1971年にレイモンドが脱退。バンドは新たなギタリストとして ブラッド・ウィットフォード を迎えることになり、オリジナルメンバーが揃うことになる。
1970年夏、 アメリカ ニューハンプシャー州 サナピー湖にある クラブ 「ザ・バーン」で友人関係にあった ジョー・ペリー と トム・ハミルトン らによる バンド 「ザ・ジャムバンド」の演奏を スティーヴン・タイラー が観ており、彼らに新バンドを組む話を持ちかけた事が「エアロスミス」誕生の発端とされている 。スティーブンはすでに別のバンド(「ザ・ストレンジャーズ」や「チェーン・リアクション」)で ドラマー 兼 ボーカル として活動しており、地域で知名度もあった。
1969年、アースの4人(担当パート:オジー・オズボーン= ヴォーカル 、トニー・アイオミ= ギター 、ギーザー・バトラー= ベース 、ビル・ワード= ドラム )はバンド名を ブラック・サバス へと改めた。この名はギーザー・バトラーが当時公開されていた映画『BLACK SABBATH』から命名。1970年2月13日金曜日、自費レコーディングによるアルバム『BLACK SABBATH(邦題:黒い安息日)』でデビュー。
1969年 、クーパー(ボーカル)、 グレン・バクストン (リード・ギター)、 マイケル・ブルース (リズム・ギター)、 デニス・ダナウェイ (ベース・ギター)、 ニール・スミス (ドラムス)からなる『アリス・クーパー』は、 フランク・ザッパ の ストレイト・レコード と契約を結び 、デビュー・アルバム『 プリティーズ・フォー・ユー 』を発表した。同年9月13日、 トロント・ロックンロール・リバイバル に出演し、翌日の全国紙でクーパーがニワトリを噛みちぎってその血を聴衆に吹きかけたと報道された。しかし彼は、ニワトリを聴衆に向かって投げたところ車椅子の観客に踏み潰されたのだ、と語っている 。ストレイト・レコードからは 1970年 に『イージー・アクション』、 1971年 に『エイティーン』を発表。後者の共同プロデューサーの一人に ボブ・エズリン を迎えた。
非常に個性的な声と風貌で有名なヴォーカリスト ウド・ダークシュナイダー が、 1968年 に旧西ドイツ・ ゾーリンゲン で結成したロック・バンド「Band X」が前身(一時期、後にプロデューサーとして名を上げるマイケル・ワグナーが在籍していた。)。そして 1976年 に ウルフ・ホフマン 、 ピーター・バルテス らと組んでバンドを再編し、現行の「 アクセプト 」に改名した。
1967年 、デトロイトの サイケ ・ ガレージロック バンド、 アンボイ・デュークス のリード・ギタリスト(一部楽曲ではリード・ヴォーカルもとった)としてデビュー。 1973年 から 1974年 にかけては、2枚のアルバムを フランク・ザッパ のレーベル、 ディスクリート からリリース。アンボイ・デュークス解散後、 1975年 に初のソロ・アルバム『閃光のハード・ロック』発表。ソロ・プロジェクトでは、主にデレク・セント・ホルムズがヴォーカルを担当しているが、一部楽曲はテッド自身が歌っている。
1958年 9月19日 に ロンドン でイギリス系の父親と イタリア 系の母親との間で生まれた。4歳の時に家族でアメリカへ移住、11歳から ギター を弾くようになった。