新作の発表はしばらくなかったがライブ活動は不定期的に行われており、ライブ・アルバム『 ロッキン・ザ・ジョイント 』発表後は北米ツアーを行い、2007年には南米・中東・ヨーロッパを含むツアーを行った。しかし、各メンバーに病気や怪我によるツアーの途中キャンセルや一時離脱が続いた。ソロ活動としては、2005年にジョーが初のソロ名義となるアルバム『ジョー・ペリー』を発表。2009年には『ハヴ・ギター、ウィル・トラヴェル』を発表。ジョー・ペリー・プロジェクト名義で北米ツアーも行った。この頃、バンド活動を休みたいスティーヴンとバンド活動に長期間の空白を作りたくないメンバー間に軋轢が生じていた 。
2007年、ジョン・バトラー・トリオは、オーストラリア・インディペンデント・レコード(AIR)アワード で「ベスト・パフォーミング・インディペンデント・アルバム」を受賞し、ARIAアワードでは「ベスト・インディペンデント・リリース」と「ベスト・ブルース&ルーツ・アルバム」も受賞した。
2007年 11月25日付けで、オリジナル・メンバーによる再始動が山中の公式サイト上で発表された。2008年には新アルバムのリリースとコンサート活動が行われた。今回の再結成では、篠原信彦が改めて正式メンバーとして迎えられている。
2007年 、 リーズ大学 の学生であるジョー・ニューマン(Joe Newman)、トム・ソニー・グリーン(Thom Sonny Green)、ガス・アンガー・ハミルトン(Gus Unger-Hamilton)、グウィル・セインズベリー(Gwil Sainsbury)の4人でバンド「 The Films (フィルムズ)」を結成。その後同時期に アメリカ で結成した同名のバンド「 The Films 」がいることがわかり、「 alt-J (アルト・ジェイ)」に改名。バンド名の由来は、 Apple 社の「 Macintosh 」で「△」を表示するキーボードのタイピング順から。バンドのシンボルマークは「△」である 。
前作からの揺り戻しのように熱くダイナミズムあふれる轟音を炸裂させた、2007年の4作目のアルバム『ベイビー81』までコンスタントにリリースを重ねてきたが、2008年にこれまで度々休止と復帰を繰り返していたドラマーのニックが脱退。その後、 デンマーク のバンド、ザ・レヴォネッツのツアー・ドラマーとして活動していたリア・シャピロが新ドラマーとして正式加入し、自主レーベルのアブストラクト・ドラゴンを設立。同年に配信限定の インストゥルメンタル ・アルバム『The Effects of 333』をリリースした 。
2006年10月20日、このトラックは米国の人気犯罪ドラマ『 NUMBERS 天才数学者の事件ファイル 』のエピソード「Traffic」(シーズン3、第5話)のオープニング曲としても使用された。
長い活動中断の後、2006年6月にニューヨークで再結成。オリジナル・メンバーのボガート、アピス、マッカーティーに加えて元 サヴォイ・ブラウン のジミー・クーン(ボーカル)が参加した。「The Radio Chick Show」に出演し、1972年に タイムズ・スクエア のB.B. King’s Blues Clubで行ったライブ以来のニューヨークでのステージを行ない、同月9日に スウェーデン で行われた『 スウェーデン・ロック・フェスティバル 』への出演のウォームアップとなった。 ランディ・プラット が ハーモニカ 担当でニューヨークとスウェーデンのステージに参加し、5人編成でアルバム『 カクタス V 』を発表した。
2006年6月に発売された『 ライオット・シティ・ブルース 』は、近作のエレクトロニクス路線から大きく転換したストレートなロックンロール・アルバムになった 。元 キリング・ジョーク のユースをプロデューサーに迎えたアルバムは、原曲を書くのに4、5ヶ月、リハーサルに2、3ヶ月、レコーディングに2ヶ月弱という短期間で完成に至った 。ギレスピーは「基本的なパートは4、5日で15曲録り終えた」と話した。作中「ウェン・ザ・ボム・ドロップス」では、 エコー&ザ・バニーメン のウィル・サージェントが個性的なギターを披露している 。先行シングル「カントリー・ガール」は2005年の フジ・ロック・フェスティバル で初披露され 、チャート5位を記録するヒットシングルとなった。アルバム発売前、ヤングは健康上の問題からバンドを離れ、 リトル・バーリー のバーリー・カドガンが代役に納まった。
2005年、ジョン・バトラーと共同設立者である妻のダニエル・カルアナは、JBシード助成プログラムを開始した。「ザ・シードは、あらゆるバックグラウンドを持つオーストラリアのアーティストが、あらゆるジャンルのアートや音楽を創造し、自立したプロのアーティストとして確立するのを助けることを目的としています。」 カルアナもインディペンデント音楽を演奏しており、Mama Kinという名前で活動している 。
ジョン・バトラーは、2004年4月に発売された『 ローリング・ストーン 』誌のオーストラリア版で、自身のビジョンを追求するためにより大きな自由を求めていると語った。「本質的にこのプロセスから学んだのは、これまで以上に、私が音楽の番人であるということだ。私には直感と先見の明があり、自分の音楽に合ったプレイヤーを選ぶことができる。必ずしも5年、6年、10年とずっと同じプレイヤーでいることが重要なのではなく、その時々の曲に合った適切な化学反応が重要だということを学んだ。私の好きな ジミ・ヘンドリックス の音楽のいくつかは、 バンド・オブ・ジプシーズ との即興的なものだ。」