ブラックモアはその後約10年にわたりディープ・パープルで活動するが 1993年 に脱退し、ホワイトなど新たなメンバーでバンドを結成。グループ名を「 リッチー・ブラックモアズ・レインボー 」と名乗った。しかしアメリカでは全く話題にすらならなかったアルバムを1作発表しただけで再び自然消滅的な形で解散した。
1993年 、ついに念願のメジャーレーベルとの契約を交わすと、翌年に発売したメジャーデビューアルバム『彼のモノ♥彼女のモノ(His ‘n’ Hers)’』が全英Top 10入りを果たす。プロモーションの過程で数多くのテレビ・ラジオ番組に出演すると、個性的なジャーヴィスの風貌やフロントマンとしての存在感が大きく取り上げられるようになった。ここに至って、ついにバンドは長きに渡った下積みを終え、メジャーな存在として花開いた。
カーヴ のツアー・サポートを務めた後、同年5月にファースト・シングル「Sunshine Smile」をリリースし、全英インディーズ・チャートのトップを飾る。
1992年 からバンドは次のアルバムに向け活動を再開、録音は スペイン で行われたが、街から遠く離れた別荘で行われたため、事実上の監禁状態にあった。そうした中で生まれたシングル「I Feel You」は グランジ・ロック や オルタナティヴ・ロック の影響を色濃く受けたロックナンバーであり、バンドのイメージをさらに一新させるものとなった。加えてデイヴの風貌はかつてのオールバックから長髪に髭を蓄えたものへと変化した。
1992年 、15歳のティムとマークは、通っていた学校の2年年上で、当時から音楽狂の変人として周囲からみられていたというリックを誘い3人でアッシュを結成。バンド名は、辞書の中から自分たちが気に入った最初の単語から名づけられた。
1992年 、南 ウェールズ の小さな田舎町・カマーマンにて、幼馴染であったケリー、リチャード、スチュアートの3人によって結成される。幾多のバンド名で活動したのち、バンド名は、スチュアートの家で使っていた 蓄音機 のメーカー名“ステレオフォニックス”から拝借したもの。当時はメンバーも子供でよくあるアマチュアバンドにすぎなかった。
地道なライブ活動の末、 1992年 に クリエイション と契約。
その後、1992年にアルバム『ボス・ドラム』を発表。そのうち、シングル化された「Ebeneezer Goode」は歌詞が薬物使用を促すような内容(「Ezer Goode」を繰り返して歌うが、同音異義語で「E’s are good」(「Eはよい」(Eとは エクスタシー の隠語)と解釈できる)であり、 BBC の音楽番組『 トップ・オブ・ザ・ポップス 』内のトップ5・ドラッグ・ソングに選ばれてしまった。だが、 全英チャート 1位を4週間記録した。当時、 フジテレビ で深夜に放送されていた 音楽番組 『 BEAT UK 』では、「Ebeneezer Goode」だけでなく「Boss Drum」も番組内のチャートで1位を獲得した。
1991年、スーパーグラスの前身バンド「ザ・ジェニファーズ」結成。メンバーは、当時15歳のギャレス・クームス(後にギャズと改名)と17歳のダニー・ゴフィーのほか、ダニーの兄ニック(後に 映像作家 に転身して、スーパーグラスや ケミカル・ブラザーズ 、 オアシス など多くのバンドの PV を手がけている)とベーシストのアンディ・デイヴィスの4人だった。1992年7月20日、 スウェード を輩出したことで知られるヌード・レコードから、ジェニファーズ唯一のシングル「Just Got Back Today」をリリース。なお当時ギャズは16歳だったため、契約書には母親が代わりにサインしたという。しかし、翌年の1993年、セールス的にはそれほど成功しないまま、ジェニファーズは解散。ギャズとダニーは、解散後も共に活動を続けることを確認する。
「ローデッド」を含むバンドの出世作『 スクリーマデリカ 』は1991年に発売された。作中の代表曲「ハイヤー・ザン・ザ・サン」は、ストーン・ローゼズの「フールズ・ゴールド」と並び、 セカンド・サマー・オブ・ラブ と称された世代のアンセムとされた 。アルバムのクレジットには、ウェザオール、 ジ・オーブ 、 ヒューゴ・ニコルソン といったダンス系のミュージシャンから、 ローリング・ストーンズ との仕事で知られる ジミー・ミラー まで様々な顔ぶれが並んだ。よりダンス的なグルーヴに傾倒し、「時代を切り取った 」このアルバムは、 マーキュリー賞 の初代ウィナーとなった 。