ダロン・マラキアン は1992年に、サージ・タンキアンと別のバンドとしてリハーサル・スタジオで初めて顔を合わせる。
1992年に コンピレーション・アルバム 『 インセスティサイド 』を発表。
1992年 2月18日 、サード・アルバム『スティック・アラウンド・フォー・ジョイ』をリリースする。先行シングルのヒットもあり、このアルバムは前作『トゥデイ・トゥモロウ・ネクスト・ウィーク!』以上に高い評価を受けた。また1曲目「Gold」には元 スージー・アンド・ザ・バンシーズ の ジョン・マッギオーク が参加している。しかし3月に「ウォークアバウト」が、8月に「Vitamin」が シングルカット されたものの、どちらも「Hit」ほどの反響は得られなかった。
10月27日 に リミックス ・アルバム『 イッツ・イット 』をリリースし、1992年末にバンドは解散した。
1992年 、15歳のティムとマークは、通っていた学校の2年年上で、当時から音楽狂の変人として周囲からみられていたというリックを誘い3人でアッシュを結成。バンド名は、辞書の中から自分たちが気に入った最初の単語から名づけられた。
1992年にはアメリカの リプリーズ から、アルバム『ゴードン』でメジャー・デビュー、カナダでは大ヒットを記録し、1993年にはカナダ版グラミー賞とされる ジュノー賞 で「グループ・オブ・ザ・イヤー」を獲得した(これ以降、彼らは何度も同賞の受賞者/候補者となっている)。1995年、アンディが脱退。1996年、サード・アルバム『ボーン・オン・ア・パイレーツ・シップ』リリース。シングル・カットされた「The Old Apartment」のビデオ・クリップは、バンドの大ファンだというカナダ出身俳優 ジェイソン・プリーストリー が監督を務めた。同年には初のライブ・アルバム『Rock Spectacle』もリリース。アンディの後任として加入したケヴィン・ハーン(キーボード)が同作から正式にクレジットされている。1997年、ジェイソン・プリーストリー主演の人気米TVドラマ『 ビバリーヒルズ青春白書 』にゲスト・バンドとして出演。
2年後の 1991年 9月7日 、1stアルバム『プリティ・オン・ジ・インサイド』( Pretty on the Inside )を ヴァージン・レコード 傘下の インディー レーベルであった キャロライン・レコード からリリース。
こうして 1991年 11月19日 にリリースされた7作目のアルバム『 アクトン・ベイビー 』は、従来のU2の音楽性から大きく方向転換し、エレクトロニック・ミュージックやダンス・ミュージックの要素を取り入れた作品となった。アルバムは商業的・批評的に高い評価を受け、U2の新たな音楽的方向性を示す作品となった 。
1991年、ドン・フレミングがプロデュースを手がけたセカンドアルバム『 バンドワゴネスク 』発表。 ニルヴァーナ の世界的メガヒットによるオルタナティブ・ブームの潮流の中で スコットランド のインディーズバンドとして知名度が上がり始め、アメリカ盤を ゲフィン・レコード 傘下のDGCレコードから出していたティーンエイジ・ファンクラブもその余波を受ける。
しかし、1991年から1993年にかけて行われた大規模なZoo TVツアーは、メンバーに大きな肉体的・精神的負担をもたらした。ツアー終盤のシドニー公演では、アダムがアルコールの影響でステージに立つことができず、急遽ベース・テクニシャンのスチュアート・モーガンが代役を務めるという事態も発生した。ツアー終了後、U2はしばらく活動のペースを落とし、それぞれが新たな音楽的可能性を模索する時期へと入っていった 。