rock

1996
U2 ミッション・インポッシブルのテーマ

また 1996年 には、ラリーとアダムが、映画『 ミッション:インポッシブル 』のテーマ曲をダンス・ミュージックとして再構築した「ミッション・インポッシブルのテーマ」を発表した。U2のリズム隊である2人を中心に制作されたこの作品は、エレクトロニック・ミュージックを取り入れたアプローチによって新たな方向性を示した 。

the pillows 第二期のthe

第二期のthe pillowsは山中が「売れることを凄く意識した時期」と語るように、周囲の意見を取り入れタイアップなどの商業戦略が積極的に試みられた 。しかし、望まれたほどの商業的な成功を収めることはできず、次第に周囲の考えと自分たちの求める音楽とのギャップに苦しむことになる 。特に1996年1月に発売した5thシングル『Tiny Boat』のセールスが低調に終わったことに対するメンバーの失意は大きく 、このことがきっかけとなってthe pillowsは第三期へと移行する。

1995
マンサン レコード契約を結ぶ

シングル「スキン・アップ・ピンナップ」リリース後の1995年11月、 イギリス で パーロフォン 、 アメリカ でEpic Sonyとレコード契約を結ぶ( 日本 では 東芝EMI )。

U2 オリジナル・サウンドトラックス1

その一方で、U2はイーノとの共同制作をさらに発展させていった。その成果として1995年11月に発表されたのが、U2とイーノを中心とするプロジェクト「パッセンジャーズ」名義のアルバム『 オリジナル・サウンドトラックス1 』である。本作は「実在しない映画のためのサウンドトラック」をコンセプトに、アンビエント・ミュージックや電子音楽、実験的なサウンドを取り入れた作品となった 。

ホール (バンド) アスク・フォー・イット

1995年 9月8日 には『アスク・フォー・イット』( Ask for it 、 1991年 11月19日 と 1992年 春のセッションを収録)

マンサン 初のシングル「テイク・イット・イージー・チキン」

1995年8月、自身の立ち上げたレーベルSci-Fi Hi-Fi Recordingsより初のシングル「テイク・イット・イージー・チキン」を1000枚限定でリリースし完売する。

スーパーグラス 1995年2月6日、2ndシングル「マンサイズ・ルースター」をリリース。全英20位を記録。2月12日、 レディオヘッド

1995年2月6日、2ndシングル「マンサイズ・ルースター」をリリース。全英20位を記録。2月12日、 レディオヘッド のオックスフォード公演にオープニングアクトとして出演。3月、 サブ・ポップ からシングル「ルーズ・イット」を2500枚限定でリリース。1日で即完売し、インディーチャートの1位を記録。4月、プロモーションのために初来日。しかし、ミックはガールフレンドの出産に立ち会うため急遽帰国。代役のベーシストを加えて、 六本木 のライブハウスで100人足らずの業界関係者を前にプロモーション・ライヴを行う。5月1日、先行シングル「レニー」が全英10位と、初のTOP 10入りを果たす。

アッシュ (バンド) ホテルの一室を破壊

この年にワールド・ツアーの一環で初来日を果たすも、やんちゃが過ぎて宿泊したホテルの一室を破壊してしまうという事件を起こす(このことは本国でも話題となった)。

アッシュ (バンド) 恐るべき子供たち

シングル「カンフー」(全英57位)がスマッシュ・ヒットした 1995年 から彼らは「恐るべき子供たち」として脚光を浴びるようになる。

マンサン 1995年 、印刷会社の同僚だった ポール・ドレイパー とストーヴ・キングが出会い、お互い デヴィッド・ボウイ や ABC 、

1995年 、印刷会社の同僚だった ポール・ドレイパー とストーヴ・キングが出会い、お互い デヴィッド・ボウイ や ABC 、 デュラン・デュラン といったグラムロックや ニューロマンティック が好きだった事から意気投合。仕事のない週末に リヴァプール のギグを観に行ったり楽器を演奏し、バンド結成を目指す。また仕事帰りに通っていた パブ で バーテンダー を勤めていたドミニク・チャドと親しくなりバンド結成に至る。チャドは以前通っていた大学でもバンドでギターを演奏していた。当初バンドはグレイ・ランターン という名前で活動していたが、ほどなく チャールズ・マンソン にちなんでマンソンと改名した。